2014年12月27日土曜日

ト調で弾こう、第6番


無伴奏組曲第6番(ニ長調)は、6つの組曲の最後を飾るにふさわしい堂々たる曲であるが、A線の上にさらに1本、E線が余分に張られた5弦のチェロのために書かれているので、普通の4弦のチェロで弾くのは極めて困難である。

そこで普通のチェロのために、5度低く、ト長調に移調した版を作った。

このト長調移調版は横山版が初めてというわけではなく、19世紀にグリュッツマッハーが作っているし、最近のものでも他にあるが、グリュッツマッハーのはコンサートバージョンという、音を自由に改変したものであり、オリジナル版で無料で利用できるのは横山版のみである。

プロ・アマ問わず、大いに利用してほしい。

もちろんこのト長調版でも難しい箇所はあるのだが、本来の5弦のチェロで弾くのと同じ難易度で弾けるわけであるし、もし5弦チェロを弾くチャンスがあれば、指使いはそのまま適用できるという利点もある。

本来C線で弾くところは、それ以上は低くできないので、なるべく自然な形にアレンジした。場所によってはオッシアで別の音形を示し、奏者が選択できるようにした。


この第6番の筆写譜、特にアンナ・マグダレーナのは、締め切り(?)が迫っていたためか、非常に端折って書かれており、ミスが多く、下の記事などに書いたとおり、多くの重要な音が間違って伝えられてしまった。ぜひ本来のこの曲の音をト長調版でも楽しんでほしい。

無料楽譜サイトIMSLP上のPDFファイルが開きます。
無伴奏チェロ組曲、ト長調編曲版(スラーなし)

ヴィオラ版もあります。
無伴奏チェロ組曲、ト長調編曲版(ヴィオラ用、スラーなし)

おまけにヴァイオリン版も。これは本来のニ長調に戻っています。
無伴奏チェロ組曲、ニ長調編曲版(ヴァイオリン用、スラーなし)


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2014年10月9日木曜日

バッハのカレンダー

 

~神を讃えるプレリュード~

  


なぜ誰も重弦で弾かないのかの記事で、ある数字に気付かれた人がいるだろうか?

それはこの重弦が始まる場所の数字である。

この重弦は第33小節の3拍目から始まっている。

ぼくにはこの3並びがどうも偶然だとは思えなかったのである。

そこでよく調べてみると、この重弦は12拍続いている。このプレリュードは4分の4拍子だから、12拍ということはちょうど3小節分と言うことである。

さらにこの重弦の出始めは、3つ続きの16分音符の重弦になっている。

この「3尽くし」が偶然であり、バッハの意図したものでないと思う人は、これから先は読まなくてもいいだろう。


キリスト教では三位一体ということから、3は神を意味する(といってもこのあたりの詳しいことは、ぼくはよく知らない。とりあえずここではそう考えて問題ないだろう)。

つまりバッハはこの重弦で神の栄光を讃えているのである。実際この部分をバッハの書いたとおりA線とD線の重弦で弾くと、光り輝くようにAの音が鳴り響くのである。


さらにぼくは、このような数字にこだわるバッハのことだから、ほかにもこのプレリュードには何か秘密の数字が隠されているのではないかと思ったのである。

そこでこのプレリュードの小節数を調べてみた。できればこれを読んでる皆さんも自分で調べてみるといいだろう。






このプレリュードは、、、






42小節でできている。

42とは何か?

そう、7x6である。

7はキリスト教では完全な数字であるという。神は6日間で世界を作り、7日目に休まれたから。これはこれで一つの答えではある。



でも他に何か無いだろうか?



7x6は、

14x3でもある。 



14と言えば「バッハの数字」ではないか。

BACHをアルファベットの順番の数字に置き換えると、B=2、A=1、C=3、H=8 で、全部を足すと14になるわけで、バッハはこの数字を大変好んだ。

例えば「平均律クラヴィーア曲集第1巻」の1番(ハ長調)のフーガのテーマは14の音で出来ている(タイで結ばれている2つの音符は1つと考える)。


そしてさらに驚嘆すべきことなのだが、チェリストであれ、びよりすとであれ、ギター、サックス、リコーダー、トロンボーン、コントラバス、ヴィオラ・ダ・ガ ンバ奏者であれ、この曲を演奏する人は全て、あるいは演奏はしないがこの曲を愛する人は全て、ここから先を読む前にご自身でこの曲の構造を研究してみてほ しい。






気づかれたことと思うが、、、






このプレリュードは実際に14小節x3で組み立てられていたのである。

より把握しやすいように、上段に元の楽譜を(小さいが)、下段にそれを和声に要約したものを示しておく。



これはつまり、このプレリュードで「バッハ(14)が神(3)の栄光を讃えている」ことを意味している、と言って間違いないだろう。

そして第3部分は別として、前の第1部分と第2部分はそれぞれ7小節づつの2つの部分に分かれるのである。

7(完全な数字)x2=14(バッハの数字)である。

そしてそれとはまた別に、全体はフェルマータによって完全に2つの部分にも分けられており(フェルマータは小節の中ほどにあるように見えるが、実際には上の楽譜の下段に見られるように和音全体にかかっているのであり、それが単にアルペッジョになっているだけである)、前半はアルペッジョ主体、後半は音階主体という構成にもなっている。

実に驚くべき構造である。

ぼくはこれをカレンダーと呼んでいる。

また上にも書いたように、神は6日間で世界を作り7日目に休まれたことから、このプレリュードは天地創造をも表しているのかもしれない。


無伴奏チェロ組曲は、神を讃える堂々たるプレリュードで始まるのである。 


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2014年9月21日日曜日

バッハへの道

 

~無伴奏チェロ組曲研究の方法論~


1824年のパリ初版譜以来、この曲の出版譜はすべて、バッハ以外の人々による筆写譜に基づいている。あるいはそうして作られた先行する出版譜に基づいて作られている。

しかし旧バッハ全集版(1879年)、ハウスマン版(1898年)、ヴェンツィンガー版(1950年)、マルケヴィッチ版(1964年)、2000年以降の出版譜などの例外はあるが、ほとんどは上記の資料を十分に駆使して作成されていない。しかし資料を十分に駆使していても、習慣や伝統、先行する出版譜の権威などにとらわれて、正しい音を見逃してしまっていた。

究極的にはバッハの自筆譜が見つからない限り、すべての正しい音を知ることはできないだろうが、少なくとも4つの筆写譜に共通する音は、当然のことながらそれが正しい、つまりバッハ自身が書いた音、と考えるよりほか無いだろう(ただしバッハ自身のミスと考えられるものは別である)。それにもかかわらず、この原則が守られていないと言うと、驚かれる方も多いだろう。

それらの音としては、第1番プレリュードの重弦第4番アルマンドのA♭第5番アルマンドのG音第6番プレリュードのG音などがあげられる。

(追記
ものの見事に、2016年の新バッハ全集改訂版でも、上記の箇所のうち。第4番アルマンドのA♭を除く3ヶ所で、従来のミスを受け継いでしまった)

資料によって異なる音は、もちろん慎重に扱う必要がある。まず当たり前のことだが、多数決によって決めてはならない。もちろんそのようにして音を決定している校訂者はいないだろうが、どうしても人情で多いほうに傾き勝ちである。

特にC資料、D資料と呼ばれる18世紀後半(つまりバッハの死後)の筆写譜はアンナ・マグダレーナ・バッハ(以下AMBと略)の筆写譜の子孫であり、AMBとC、D資料が同じでケルナーの筆写譜だけが異なるとしても、AMB側が正しいと言うことにはならない。

そのような例としては第2番のアルマンドのA音の欠落、第4番プレリュードの「早すぎたフラット」第6番ジーグのイ長調の部分などがあげられる。

反対に、ケルナーとC、D資料が同じでAMBだけが異なる場合、特別注意を払う必要がある。第2番のサラバンドやジーグのように、おそらくAMBの筆写ミスと考えられる場合もあるが、第1番ジーグの「半小節」のように、後からバッハが加筆、改訂した可能性があるものもあるからである。

それから、第5番にはバッハ自身がリュート用に編曲した自筆譜が残っている。ところが、編曲ものとは言えバッハの自筆譜が残っている貴重な組曲であるのに、驚くことにこの自筆譜が十分に活用されていないのだ。特にケルナーとリュート編曲が同じで、AMB(及びC、D資料)が異なるなら、ケルナー側が正しいと考えてよいだろう。例としてはアルマンドのリズムがある。


いずれにせよ、各資料の系統は正確に把握する必要があり、どこで誰が筆写ミスをしたか、あるいはバッハによる加筆、改訂があったかを考えなければならない。それなしに資料を平面的に並べて、思い付きでミスだの何だのと言っても始まらないのである。下の図は現在ぼくが考えている各資料の系統図である。


何より重要なのは、上にも書いたが、C・D資料がAMBの子孫であることである。第2に、おそらくケルナーはバッハの草稿から、AMBはバッハの自筆清書楽譜から筆写したであろうこと。第3に、ケルナーとC・D資料が一致している(つまりAMBだけが異なっている)場合、I 資料(これはぼくの仮説による)と、さらにG資料を通してC・D資料に伝わった可能性があること、である。

ついでながら、2000年の新ベーレンライター原典版に掲載されている系統図をご覧いただきたい。このような貧弱でしかも間違った系統図が、一般的には今でも信じられている。



先ほども言ったように、究極的にはバッハの自筆譜が見つからない限り、決定できない音がいくつかあるのは事実である。またここでは無視したが、スラーの決定という難しい問題も残されている。しかし2000年のバッハ・イヤーに出版された、新ベーレンライター原典版で各資料が一般人にも入手可能となり、さらに現在ではバッハ・デジタルやIMSLPなどで、最新の美しいカラー版ファクシミリによる資料を自宅にいながら利用できる時代になった。

チェリストに限らずこの曲に関心を持つ人は、先人の偏見にとらわれずにこの曲を研究できるようになったのである。偏見や習慣、思いつきや思い込みにとらわれた校訂報告など見ても無駄である。どうかご自分の目で確かめて下さい。

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2014年9月17日水曜日

なぜ誰も重弦で弾かないのか


~無視された重弦~


これはバッハ「無伴奏チェロ組曲」における最大の謎である。なぜドッツァウアー以来200年近くもの間、誰もこれに気が付かなかったのか?

それは無伴奏チェロ組曲の顔とも言うべき、第1組曲のプレリュードの第33小節3拍目から第36小節第2拍目までのaの音に関することである。

4つの筆写譜すべてがそれらをAの開放弦とD弦上のa音のユニゾン、つまり重弦で弾くべきであることを示している。 なぜならそれらのa音にはすべて二重符尾、つまり上下に2つの符尾(ぼう)が書かれているからである。

 ケルナー:


アンナ・マグダレーナ・バッハ:


 C資料:


 D資料:


ところが1826年にドッツァウアーがブライトコプフ社から彼の版を出版した際、次のように書き換えてしまったのである。


これは決してドッツァウアーだけのせいではなく、その前の1824年のパリ初版譜において既にその兆候が見えている(二重符尾だが指使いが単弦用になっている)のだが、


それはさておき、これが後の旧バッハ全集(1879年)などに引き継がれ、1997年にヴェルナー・イッキング氏の楽譜が現れるまで、すべての出版譜がこの重弦を無視し続けて来たのである。とりわけひどいのは、あろうことか1988年の新バッハ全集版(ハンス・エプシュタイン編)までが、この重弦を無視していることである。何のための「新」バッハ全集なのだろうか?イッキング氏はアマチュアのヴァイオリニストである。専門家は何をしていたのか?

とりわけこの重弦の出だしに注意してほしいのだが、すべての資料が3つ続きのaの重弦を示している。現在ではウイーン原典版など、 この重弦を書くようになった出版譜も出始めたのだが、この3つ続きの重弦をちゃんと書いているのは、イッキング版と横山版だけである。

信じられないのはヘンレ版で、2000年の初版ではちゃんとこの3つ続きを書いていたのに、2007年の改訂版では3つ続きをやめてしまったのである。無知なチェリストの助言でもあったのだろうか。既存の出版社の没落を示すかのような出来事である(ちなみに、イッキング版も横山版も共にインターネット上で無料配布されている楽譜である)。

指使いの一例を示しておく。


このような連続する重弦はこのプレリュードだけだが、単独のユニゾンはチェロ組曲の他の曲の中にもいくつかある。

 1、第2組曲サラバンドの冒頭、dのユニゾン。
 2、第5組曲ガヴォット2、第8小節最初、gのユニゾン。
 3、第5組曲クーラント、第12小節の最初、gのユニゾン。
 4、第6組曲アルマンド、第8小節最初、aのユニゾン。
 5、第6組曲ジーク、第53小節最初、aのユニゾン(AMBのみ)。

これらのユニゾンはほとんどの奏者が重弦で弾いているだろうに、第1組曲のプレリュードだけを例外とする理由は何なのだろうか?

それでも重弦を疑う人は、無伴奏ヴァイオリンのための「シャコンヌ」をご覧いただきたい。バッハ自身が証明しているから。中間のニ長調の部分、第165小節からa音およびd音で、同音の重弦が力強い表現を行っているが、これをまさか単弦で弾くヴァイオリニストはいないだろう。なぜなら二重符尾で書かれているからである。

 バッハの自筆譜より


それならどうしてチェリストは同じようにしないのだろう?

またバッハがもしD弦とA弦を交互に弾くのを望んでいたのなら、その同じ「シャコンヌ」のあとの方(第229小節以降)で書いているようにしただろう。これはまさしくドッツァウアー以降の書き方とそっくり同じなのである。


これ以上の証明は必要ないだろう。

追記
2016年11月に新バッハ全集の改訂版が出版されたが、そこでも重弦は書かれていなかった。もはやただ呆れるほかはない。ヘンレ版やウイーン原典版よりも後退してしまっている(→新バッハ全集改訂版の「無伴奏チェロ組曲」

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2014年9月9日火曜日

第6番ジークについて


~サスペンションには準備が必要~


サスペンションと言っても、車の話ではない。音楽のサスペンションとは、日本語で掛留音(けいりゅうおん)と呼ばれるものである。

簡単に言うと、2つの和音が続く時に前の和音のうちの1つ(時には2つあるいは3つ)の音が、次の和音に移ってもしばらくそのまま残ってしまうことである。ただししばらくしてから、次の和音の本来の音に移動する。

次の例では * で示したCの音がサスペンションであり、次にBに移動することで本来のGの和音(G-B-D)に落ち着くのである。つまりしばらくの間、サスペンション(宙吊り)の状態になるのである。フランス語ではretard (ルタール/遅延)、つまり次の音に移るのが遅れると表現される。うまい言い方である。


サスペンションの状態にある間、図に7th(7度)と書いたように、他の音(この場合D)と不協和音程を成す。つまり音が濁るのである。今日の我々にはあまり濁っているとは感じられないかもしれないが、DとCだけを弾くとわかるだろう。

逆に、サスペンションの音のある和音、つまり不協和音の方から見ると、そのサスペンションの音には準備が必要なのである。前の和音でその音がすでに鳴らされていなければならないのである。上の例では * で示されたCの音が前の和音でもすでに鳴らされている必要があるのである。以上のことを踏まえて、第6組曲ジーグを見てみよう。


第8小節、これはぼくも長らく見落としていた。旧バッハ全集版(1879年)を見ていて気付いたのである。

4つ目の八分音符はアンナ・マグダレーナ及びC・D資料ではEだが、ケルナーではC#である。これはアンナ・マグダレーナのミス(そしてそれがC・D資料に受け継がれた)と思われる。

 ケルナー(楽譜はアルト記号で書かれている):


 アンナ・マグダレーナ(C・D資料も同じ):

 

と言うのは、9小節目初めのバス音Dと7度音程を成すC#は、2拍目のBへ解決するサスペンション(掛留音)となっており、その前の和音(第8小節後半のAの和音)で準備されていなければならない、つまりすでに鳴らされていなければならないからである。和音に要約するとよく分かるだろう。


長らくEで弾き慣れた人は始めのうちは戸惑うだろうが、しばらくC♯で弾き続けてみてほしい。それからまたEで弾いてみると、今度は第9小節を弾いた時、何でこんなところ唐突にC♯の音が出て来るのか変に思うに違いない。

それにしてもこれまでにC♯を採用した出版譜は、ぼくの知る範囲では旧バッハ全集だけであるが、 なぜか次の第9小節の和音がただの三和音(D-A-F♯)になっている。


ここに至るまでの経緯は興味深いものがある。このD-A-F♯を最初に書いたのはパリ初版譜(1824年)である。ここには指使いも書いてあるので、印刷のミスではないことがわかる。校訂者のノルブランはある意味正しかったのである。第9小節の和音の前に準備の音、つまりC♯がなかったので、第9小節の和音の方が間違っていると考えたのである。

 パリ初版譜(段が分かれているものを合成。ト音記号により1オクターヴ高く表記されている):


これがドッツァウアー(1826年)、グリュッツマッハー(1865年頃)と受け継がれたが、旧バッハ全集はなぜかケルナーとパリ初版譜系をごちゃ混ぜにしてしまったのである。

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2014年9月7日日曜日

このサイトについて


バッハの無伴奏チェロ組曲についての記事を、ブログ「パリの東から」に掲載して来たが、数が多くなり過ぎてしまい、整理の必要性が出て来た。それにせっかく作った横山版、バッハ無伴奏チェロ組曲もあまり利用されていないようなので、もっと広く知ってもらうために単独のブログを作ることにしたのである。

このブログに先立ち、英語のブログ "Bach's Cello Suites, Editor's Notes" を作った。このブログはその姉妹編というわけである。

すべての記事を移すにはまだまだ時間がかかりそうである。それに古い記事では修正したいと思うことも多い。全部移すまでは「パリの東から」もあわせて読んでいただきたい。

こちらのまとめに全記事へのリンクがあります。
バッハ「無伴奏チェロ組曲」まとめ


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