2015年5月11日月曜日

無視された半小節

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第1組曲ジーグのアンナ・マグダレーナ・バッハ(以下AMB)の筆写譜には、ぼくが無伴奏チェロ組曲の楽譜を作るきっかけとなった、奇妙な半小節がある(第31小節の後)。


これはAMBの筆写譜を見たことのある人は大抵気付くもので、ロストロポーヴィチなど、何人かのチェリストがこの半小節を弾いている。

 ロストロポーヴィチによる半小節の演奏(15分35秒と16分04秒、ジーグの開始は14分39秒)


 (余談だが、おもしろいことに、ロストロポーヴィチはビデオではこの半小節を弾いているが、CDでは弾いていない。)

しかしこれまで出版された楽譜の編集者はことごとく、何の音楽的な根拠もなく、ただ半小節なんて変だと言うだけで、これをAMBのミスだと決め付けてきた。 ただ一人だけ例外はあって、1957年出版の Stogorsky という人の楽譜には採用されている。ただこの楽譜は、AMBの筆写譜をミスだと思われる箇所も含めて忠実に再現したもののようで、音楽的に理解した上で積極的に採用したという訳ではないようである。

この半小節はAMBの筆写譜以外にはない。AMBの筆写譜の子孫であるC資料、D資料にもないのは、C・D資料の親資料であるG資料の筆写師がこれをミスだと思って無視したからであろう。 

ケルナーの筆写譜にもないが、これはただバッハの草稿に無かったからに過ぎないだろう。ケルナーはバッハの草稿から筆写したと考えられる(ただしこれには新バッハ全集改訂版の校訂者Andrew Talle氏による異論がある)。


つまりバッハは草稿にはこの半小節を書いていなかったが、清書楽譜には書き足したのだと考えられる。AMBがバッハの清書楽譜から写譜したことは間違いない。あるいは、ぼくはこちらの方が可能性が高いと思うが、清書楽譜にも最初は書いていなかったが、後に五線の外にこの半小節を加えたのかもしれない。

 バッハの自筆譜の想像図: 


これを書き写せばAMBの筆写譜のように半小節が挟まった形になるのではないだろうか?

さてそれはともかく、この半小節にはちゃんと音楽的な根拠がある。バッハは初めは小節の枠内に収めたのだが、後に音楽的な要求に従って、この半小節を挿入したのであろう。

下の図を見てほしい。


6段目までずっと4小節単位で進んでいたこの曲が7段目では3小節進んだところ(第27小節)で突然断ち切られている。そのためいわば余ったエネルギーが拍子の混乱を引き起こすのである。

加えて第29小節と第30小節(下から2段目)のそれぞれの2拍目(小節の後半)の頭の8分音符が次の8分音符へのアポジャトゥーラ(倚音)になっており、それがアクセントとなるため、だんだんと裏拍(小節の後半)が表拍(小節の前半)よりも強く感じられるようになり、ついに第30小節の裏拍が表拍のように感じられ、次の第31小節の表拍が裏拍のように感じられるようになる。

そして最後の段は第31小節の裏拍から始まるが、実際には表拍として感じられる。そのためその後に「余分な」半小節を裏拍として挟み込む必要が生じたというわけである。図を見れば、3小節で断ち切られたフレーズがだんだんと回復しようとして、最後に4小節にもどる様子がよくわかると思う。

さらに付け加えると、無伴奏チェロ組曲の全てのジーグにおいて、なぜこの第1番だけ最後の音にフェルマータがあるかの説明にもなる。最初バッハは何らかの物足りなさを感じ、フェルマータで最後の音を伸ばすことによってそれを補おうとした(ケルナーの筆写譜にもフェルマータがあることから、これが最初から書かれていたことがわかる)。後にバッハは半小節を書き加えることによって解決をはかったが、痕跡としてこのフェルマータが残ってしまったというわけである。
 

上のロストロポーヴィチの演奏を聞いてもらえればわかるが、楽譜上は奇妙に見えても、耳には全く自然に聞こえるし、このジーグが、ひいてはこの第1組曲全体が充実して終わることがわかると思う。

バッハが後にこの半小節を書き加えたことは間違いない。

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