2015年8月9日日曜日

無視された7度

 

~200年近くもの放置~


これはぼくの発見ではない。すでにヘンレ版、そしてあまり知られていないバズレール(フランスのチェリスト、1886–1958)の版には書かれている。

しかしそれ以外の多分すべての版では、この7度は無視されて来たのである。これを読んだら直ちに手持ちの楽譜を修正していただきたい。これほどの重要な音が修正されずに200年近くも放置されたままであることに、怒りさえ覚えるのである。

第6組曲、プレリュードの第91小節、最後の音はG(ト長調版ではC)である。Aでは断じてない。

すべての筆写譜がGなのである。

にもかかわらず、パリ初版譜(1824年)が恐らく単なるミス、あるいは校訂者ノルブランの思いつきでAにして以来、その悪習が200年近くも続いているのである。一体その間歴代の校訂者達は何をして来たのか?

 ケルナー(アルト譜表であることに注意):


 アンナ・マグダレーナ・バッハ(以下AMB):


 C資料:

 
 D資料:  


 パリ初版譜によるミス、あるいは改変(ト音記号により、実音より1オクターヴ高く書かれている):


気付かれた方もいるだろうが、ケルナーとC資料では修正した跡がある。つい勢いで前の小節と同じAを書いてしまったのである。ここはミスしやすい場所なのである。しかしそれにしても200年近くも放置するとは何たることか。

ここまで16分音符による目まぐるしいパッセージが続き、調の行方がわからなくなった時、主題がドミナントの調であるイ長調で立ち現れる。これは第12小節と全く同じ形であり、そのままイ長調で同じように続くと見せかけて、その期待をこの大胆なG音が裏切り、強引に本来のニ長調に戻るのである。後の校訂者達のほとんどがこのバッハの意図を理解できなかったのである。

しかしこれほどの美しい、またはっとさせられる7度音を他に知らない。音楽史上最も感動的な7度音と言っても過言ではないだろう。 この7度音(ドミナント7の和音の)は次の小節の2拍目の最後の(1オクターヴ低い)F♯の音に解決される(上のAMBの筆写譜の一番右の音)。

この素晴らしい7度音がこれまでほとんど演奏されて来なかったとは、何と残念なことだろうか。楽譜がそうなっていなかったのだから仕方がないのだが。楽譜校訂者の責任の大きさを痛感させられる。

追記

パリ初版譜の校訂者ノルブランのミスと書いたが、ノルブランが使用した資料(ぼくはE資料と呼んでいる)がAだった可能性もある。

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2015年8月7日金曜日

無視されたリュート組曲

 

~せっかくの自筆譜なのに~


バッハのリュート組曲ト短調(BWV 995)は「無伴奏チェロ組曲」第5番ハ短調のバッハ自身による編曲であり、これには自筆譜が残っている。
http://imslp.org/wiki/Suite_in_G_minor,_BWV_995_%28Bach,_Johann_Sebastian%29
自筆譜が失われた「無伴奏チェロ組曲」にとって、これはまたとない貴重な資料である、、、





はずなのだが、、





どういうわけか、これが全然活用されていないのである。例えば、

プレリュード193小節、3番目の音はほとんどの出版譜がGになっているが、これは実はA♮なのである。

 ケルナー(最後の音A♮は実音で書かれている):


  リュート組曲:  上段はテナー譜表、下段はバス譜表で書かれている。しかし上段はこのままハ短調で書かれたバス譜表として読める。


 アンナ・マグダレーナ・バッハ(以下AMB/最後の音はスコルダトゥーラ(変則調弦)で書かれていて、実音はA♮):

 
 C資料(D資料も同様):


もし、リュート組曲がなければ、ケルナーとAMB(及びC、D資料)との違いはバッハ自身による改訂の結果という可能性もないではないが、リュート組曲がA♮である以上、AMBのミスと考えて間違いない。それによく見ると、AMBは書き直しているのが分かる。これはGと書いた後、Aと書き直したのだろう。ただその際書き直すことに気を取られてナチュラルを付け忘れたのだと思われる(バッハ自身が書き忘れた可能性も無くはない)。

ただおもしろいことにパリ初版譜(1824年)ではA♮になっている。資料がそうなっていたのか、資料はGだったのに直感で直したのかはわからないが、おそらく小節最後の音がA♮だったので単純にそれに合わせたのだろう。

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また、アルマンドの第25小節、2つ目の4分音符に相当する場所のリズムは、ぼくの知る限りすべての出版譜で8分音符1つと16分音符2つになっているが、これはAMBのミス以外の何ものでもない。ケルナーとリュート組曲は共に16分音符2つと8分音符1つのリズムになっている。AMBのリズムではあまりにも野暮ったい。

これもせっかくのリュート組曲が生かされていない例である。またC、D資料がAMBの子孫であることがわかっていないから、なんとなくAMB以外もそうなっているからと、多いほうに傾いてしまった例でもある。

 ケルナー:


 リュート組曲(2段に分かれたものを合成):


 AMB(C、D資料も同様):



注)

これより以下は新しい記事として独立させたので、そちらをご覧下さい。→ 奇妙な和音?

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それから次はほとんど許せないレベルであるが、同じ小節の頭の和音について、そのバス音はほとんどの版がB♭になっている。どうしてそうなったのか全く理解不能なのだが、これはすべての筆写譜、そしてリュート組曲もGなのである(AMBの和音の一番上の音はスコルダトゥーラ表記のため、実音はA♭である)。

上のリュート組曲の楽譜をわかりやすいように、ハ短調に移調してみよう。


チェロ版とリュート版と比較すれば一目瞭然だが、チェロ版では弦の数が少ないために和音の音が省略されている。そのために何の和音なのかチェロ版だけではややわかりにくいかもしれないが、これはそんなに難しい和音ではない。
 

上の図で、左の方はトニックの上にドミナント7(いわゆる属7)の和音が乗っかっているありふれた形だが、そのバス音が右のようにトニックの代わりに第3度音になっているだけ なのである。バス音がトニックの場合ほど多くはないが、たまに使われるし、ましてや楽譜の校訂者がこの和音がわからないなんて言語道断である。

ヴェンツィンガーなどは校注で、AMBもケルナーもリュート組曲(つまりバッハ自身!)もみんな間違っていると言ってのけている有様である。これが1950年の時点での無伴奏チェロ組曲研究の状況だったのである。

この和音の使用例として、バッハ自身の他の作品から2つの例を挙げてみよう。

「平均律クラヴィーア曲集」第2巻第3番、嬰ハ長調プレリュード、第11小節の最初の和音。上はわかりやすいようにハ長調に直したもの、下はバッハ自身が書いたこの曲の原型(BWV 872a)である。


「マタイ受難曲」終曲の第11小節冒頭。一瞬ではあるが調も同じで、紛れもない同じ和音である。


最近の出版譜では、イッキング版とヘンレ版はちゃんとGを書いている(もちろん横山版も)。

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2015年8月4日火曜日

早すぎたフラット

 

~段の変わり目は注意~


第4番は多少問題の箇所がある。特にプレリュードの「早すぎたフラット」は全く信じられないことに、カザルス、フルニエ、トルトゥリエ、シュタルケル、ロストロポーヴィチ、ビルスマといった20世紀の大家から最近の名手に至るまで、実に多くのチェリストによって弾かれており、唖然とせざるを得ない。

これはアンナ・マグダレーナ・バッハ(以下AMB)の凡ミスに過ぎないのである。それがなぜこんなに広まってしまったのだろう? 

プレリュード第16小節、2番目の8分音符はAMBの筆写譜ではD♭になっているが、これはまったくの筆写ミスである。なぜなら同じ小節の6番目の音である1オクターブ低いD音には何も付いていないからで、しかも同じ小節といっても、第16小節の後ろ半分は次の段の五線に移っている。つまり次の段を筆写している際、ついうっかり前の第16小節にさかのぼってフラットを付け足してしまったのである。
 
 AMB: 上段、右から3つ目の8分音符が問題のD♭(下段2つ目の低いDに♭が付いていないことに注目)。


 段を変えていないケルナーには当然ながらこのフラットはない。


ここで理解して欲しいのは、筆写譜はバッハの原稿の段まで忠実に写しているわけではないことである。

「無伴奏チェロ組曲」の兄弟曲、「無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ」には、幸いにもバッハの自筆譜、さらにAMBの筆写譜までが残っているのだが、両者を見比べてみると、バッハのほうが音符を詰めて書いているのがわかる。そのためAMBのほうがだんだんとスペースが足りなくなって、 次の段へと移って行くことが多いのである(逆に追い越している場合もあるが)。

このプレリュードの場合、問題の小節はバッハの自筆譜では恐らく段の最後まで書いていたに違いない。しかしAMBではほんの少しだが、スペースが足りなくなって小節の途中で次の段に移ったのである。そのため原稿と筆写譜との間で視覚的な混乱が生じて、原稿の第17小節にあるフラットを筆写譜の第16小節にまで付けてしまったというわけである。

 バッハの自筆譜(想像図)


できれば上のバッハの自筆譜(想像図)を皆さんもAMBになったつもりで写譜してみてほしい。きっと実感としてAMBのミスが理解できるだろう。

(追記
あるいは次のほうがよりあり得るかもしれない。つまり自筆譜はもう少し詰めて書かれており、3段目は第17小節の前半まで書かれていたのかもしれない。これならばちょうど上段右から3つ目の音にフラットが付くことになる。)


この五線の段を変わった際の間違いとしては、AMBでは他に第3番のジーグと第5番の同じくジーグにあり、どちらの場合も同じ小節を2回書いてしまっている。段が変わった時はミスをしやすいのである。

ケルナーも、第3番のサラバンドを筆写していて、バッハの楽譜のある段を丸々書き落としている。つまりこれはアンナ・マグダレーナの場合とは逆で、自分の方の段ではなく、バッハの原稿の方の段が変わったところでミスをしているのである。これによってバッハの自筆譜が、第13小節から17小節までが一つの段になっていたことがわかる。


ただ、なぜこれが「早すぎたフラット」なのか、言葉で説明するのは少々厄介である。以下は特に関心のある方以外は読み飛ばして構わない。なので小さい文字で書く。

変ホ長調で始まった曲は、上部の音の多少の揺れはあるものの低音のE♭によって、第9小節までは変ホ長調が保たれる。ところが第10小節から低音の下降が始 まり、調の行方がわからなくなる。しかし第13・14小節のF7の和音と第15小節のB♭の和音によって、変ホ長調のドミナントである変ロ長調への転調が確立される。

ところがその安定は長く続かず、第17・18小節のE♭7の和音と第19小節のA♭の和音とによって、変ホ長調のサブドミナントである変イ長調への転調が確立される。わずか4小節の間に変ホ長調のドミナントからサブドミナントへ、5度圏を一気に2段階駆け下りるのである。

この急激な転調が滑らかに行われるには、2つの調の中間の変ホ長調の和音が聞かれなければならない。言い換えるなら、5度圏を一段ずつ降りて行かなければな らないのである。そこで第16小節で低音をA♭に下降させ変ホ長調のドミナント7であるB♭7の和音(の第3転回形)を聞かせ、次の変イ長調のドミナント7であるE♭7の和音とうまくつないだのである。

ところが第16小節において、D♭の音を弾いてしまうと、この和音は変イ長調の第2度音 (変ロ)上の短7の和音(B♭m7)になってしまう。つまり中間の変ホ長調を経ないで、変ロ長調から変イ長調へ5度圏を一段階飛び越えてしまうことになり、転調が滑らかに行われなくなるのである。


つまりせっかくドミナントである変ロ長調に到達したのに、「早すぎたフラット」によって一瞬にしてその安定が根こそぎ覆されてしまうのである。

この曲は左手のポジションと弦がのべつ幕なしに変わるという、チェリストにとって厄介な曲なため、つい弾くことに気を取られてしまうのだろうが、ピアノなど鍵盤楽器で和音を弾いてみれば、このD♭が早過ぎるということは、上のような説明を読まなくてもすぐに分るはずである。ここは第11-12小節、第19-20小節と同様の場所であり、低音だけが経過音的に下降すればいいのである。

ぼくの知る範囲では、この間違ったD♭を書いている楽譜はAMBの他に、C資料、D資料、パリ初版譜、グリュッツマッハー、旧バッハ全集、クレンゲル、ベッカー、ハウスマン、マルキン、アレクザニアン、ガイヤール、マイナルディ、フルニエ、トルトゥリエ、シュタルケルの版である。これらの版をお持ちの方はご注意下さい。また他にもありましたら お知らせ下さい。

20世紀で最も使われたであろう、ヴェンツィンガーのベーレンライター原典版では、はっきりとこのD♭を否定しているのに、どうして未だにはびこっているのだろう?やはりカザルスやフルニエといった人の影響だろうか?

なお2000年に出た3つの原典版(ブライトコプフ、ヘンレ、ウィーン原典版)はすべてD♮になっており、この問題に関しては進歩している。残念なのはこれらの原典版があまり普及していないことである。

またこのフラットは100%確実にAMBによるものであるにもかかわらず、そっくりC、D資料およびパリ初版譜にも記譜されていることから、これらの資料がAMBの筆写譜の子孫であることが証明されるのである。


ところで余談だが、このフラットの少し前、第12小節(上のAMBの筆写譜では上段2小節目)の最後の音を、アーノンクールとウィスペルウェイは共にB♭ではなくCを弾いている。このような音は4つの筆写譜はもちろん、ぼくの知る限りどの出版譜にもない。謎である。もしもそのような楽譜を見つけたらぜひとも知らせて下さい。おそらくアーノンクールの思い付き、あるいは単なるミスを、ウィスペルウェイが本気にしただけだと思われるが。


追記

この記事の元の記事をブログ本館「パリの東から」に掲載してから2年半ほど経つが、最近の新しい録音・録画を聴いてみると、幸いにもD♮で弾かれることが多くなって来た。これはおそらく今頃ヴェンツィンガー版の影響が現われて来たのだとぼくには思われる(あるいはヨーヨー・マの影響?)。

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